日本におけるチョコレート産業は、明治時代に飛躍的に開花します。
明治時代になり、文明開化の名の下に洋菓子が日本に輸入されるようになりました。
日本のチョコレートの歴史も、明治維新によって本格的に始まります。
明治新政府は1871年(明治4年)から6年にかけて、特命全権大使に岩倉具視、副使に木戸孝允・伊藤博文・大久保利通とする使節団を欧米諸国に派遣しました。
1873年(明治6年)、岩倉らは、フランスのリヨンにあるチョコレート工場を見学し、チョコレートの製法やカカオ産地などについて調べました。
『特命全権大使米欧回覧実記』によると、「錫紙にて包み、表に石版の彩画などを張りて其美を為す。極上品の菓子なり。此の菓子は、人の血液に滋養をあたえ、精神を補う功あり」と記されています。
日本で初めてチョコレートを加工製造・販売したのは、米津風月堂(現在の東京米津風月堂)だといわれています。
1878年(明治11年)に、「かなよみ新聞」にチョコレートの広告を掲載しました。
当時、チョコレートは「猪古令糖」「貯古齢糖」「千代古齢糖」などの漢字が当てられていました。
チョコレートは、すぐに日本人に受け入れられたわけではなかったといいます。
牛乳を飲む習慣がなく、「牛乳を食べれば角がはえる」と語られることもあった時代でした。
また、当時のチョコレートは輸入品あるいは輸入原料によるもので、一般の人々にはとても高価なものでした。
チョコレートを食べる人は、居留外国人や海外滞在経験者、特権階級などに限られました。
1899年(明治32年)、アメリカから帰国した森永太一郎が森永西洋菓子製造所(現在の森永製菓株式会社)を創業し、輸入原料チョコレートからチョコレートクリームの生産を始めました。
同社は、1903年(明治36年)に大阪で開催された第5回内国勧業博覧会に参加し、チョコレートクリームが3等賞に入賞しました。
1909年(明治42年)には、日本初の板チョコレートの生産を開始しました。