チョコレートは貴族を中心にヨーロッパ各地へ広がり、やがて庶民の間でも親しまれるように。
新大陸から渡り、スペインでもてはやされるようになったチョコレート。
長い間、カカオ生産地はスペインが支配し、チョコレート製造もスペインが独占状態となっていました。
しかし、ついに1600年頃にイタリアへ、続いてフランスに広がります。
1606年、スペイン王室に出入りしていたフィレンツェの商人であるアントニオ・カルレッティがカカオの栽培から加工技術と製造法まで習得してイタリアに伝えました。
フランスにチョコレートが広がったきっかけは、2つの婚姻にあります。
1つは、1615年にスペイン国王フェリペ3世の娘アンヌ・ドートリッシュがフランス国王ルイ13世と結婚したことでした。
カカオを好んだ王妃によってチョコレートがフランスに持ち込まれました。
もう1つは、1660年にルイ14世と結婚したフェリペ4世の娘マリア・テレサがスペインからチョコレートの調理人を連れてきたことです。
こうしたことをきっかけに、フランス貴族階級を中心にチョコレートを飲む習慣が流行しました。
健康によく薬としての効能があることも、チョコレートの人気を高めた一因だといわれています。
その後貿易が盛んになり、イギリスにチョコレートが渡ると、王侯貴族の文化が商人へと広がっていきます。
1657年にはイギリスのロンドンで世界初のチョコレートハウスが誕生し、政治について議論したり社交を深めたりする場でホットチョコレートが飲まれるようになっていきました。
17~18世紀には、ヨーロッパ全体にチョコレート文化が広がり、18世紀にはアメリカにも伝わりました。
18世紀には、チョコレートは庶民の飲み物になりました。
このことを伝える有名な絵画があります。
1745年にスイスの画家リオタールが描いたも作品で、少女がカップに入ったチョコレートを運んでいます。
この絵画はドイツのドレスデン美術館(アルテ・マイスター絵画館)に所蔵されていて、「チョコレートガール」あるいは「チョコレートを運ぶ娘」などと呼ばれています。